以前勤めていた会社での出来事です。
私の会社は個人情報を扱っているため、セキュリティがかなり厳しく、
社員証代わりのセキュリティカードがないと社内を自由に移動することができません。
数年前、派遣会社から来ていた女性が、そのセキュリティカードを忘れて出社してしまった日がありました。
本来であればゲスト用のカードを借りることになっているのですが、その日は団体のお客様が来社しており、貸し出し用のカードはすべて使用中。
そのため、「移動する際は社員が同行してください」という対応になりました。
年齢が近いということもあり、その日の付き添いは私が担当することになりました。
午前中は特に問題もなく仕事が進み、彼女も真面目に作業をしていました。
異変を感じたのは、お昼休みに一緒に外へ食事に行った時です。
店に入って注文を済ませた頃から、どこか落ち着きがありませんでした。
スマホを開いては閉じる。
何度も座り直す。
周囲を見回しては、小さく息を吐く。
最初は仕事で緊張しているのかなと思っていました。
でも店内を見渡して理由がわかりました。
その店にはトイレが一つしかなく、お昼時ということもあって、いつ見ても誰かが入っているか、数人が並んでいる状態だったのです。
「行きたいけど、混んでいて入りづらいのかな」
そんなふうに思いました。
それでも彼女は何も言わず、普通に食事を続けていました。
食後のコーヒーが運ばれてきても、席を立つ様子はありません。
そして店を出た直後、ようやく小さな声で話しかけてきました。
「……お手洗いに行きたいのですが、会社に戻ったら寄らせていただいてもよろしいでしょうか?」
どこか申し訳なさそうな言い方でした。
私はもちろん断る理由もありません。
「大丈夫ですよ。」
そう返すと、彼女は少し安心したような表情を見せました。
会社へ戻ると、彼女は真っすぐロビーのトイレへ向かいました。
しかし運悪く、女性トイレには三人が並んでいました。
その列を見た瞬間、彼女の表情が少し曇ったのを今でも覚えています。
列に並んでいる間も落ち着かない様子でした。
足をクロスさせたり。
腰のあたりをさすったり。
小さく息を吐いたり。
その仕草を見ているだけで、「かなり我慢しているんだろうな」ということが伝わってきました。
ようやく順番が回ってくると、彼女は少し前かがみになりながらトイレへ入っていきました。
スーツ姿だったので、ベルトやボタンを外すだけでも普段より時間がかかったのかもしれません。
「間に合ったかな。」
「少し漏れていないといいけど。」
そんなことを考えながら、私はロビーで待っていました。
しばらくして出てきた彼女は、
「お待たせしました。」
と笑顔で一言。
さっきまでの緊張した表情が嘘のように、どこかホッとした、とてもすっきりした顔をしていました。
今思い返しても、おそらく昼食を食べ始める頃には、すでにかなり我慢していたのでしょう。
「まだ大丈夫。」
「会社に戻ってからでいい。」
そう自分に言い聞かせながら、最後まで周囲に気を遣っていたのかもしれません。
会社のロビーを見るたびに、私は今でもあの日の彼女の姿を思い出します。

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